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Semi Plastic Bamboo 竹の針と、レコードの”鑑賞”

Written : ダイナマイトボートレース荻原

 2022年6月末、梅雨がいつの間にかあけてしまって、私のささやかな音楽室は夏で満たされてしまった。歳をくって、心の感情が言葉ではなく色や音のようなグラデーションのようになってしまって、自分が何かしたいか、何をするべきかなどという思いは若さゆえだったのかと、それすらも夜更けにコーヒーを飲むようなもので自分に対しての執着が些細な事になった。

 音楽で言えばStereolabのSOUND-DUSTの様なもので、20年ぶりに取り出してみた盤は随分とくたびれていて、当時は随分と急いで食事するかのようにレコードを雑に、しかも大量にかけていたのだと思う。
20年前のレコード市場は最悪だった。それは何時間再生できるのか?ポケットのストレージに何曲はいるのか?というのが重要だった。1枚のレコードをわざわざかけるという事は真逆だったし、何だかレコードの音までもがいつの間にか悪いものにさえ感じるくらいだった。

…Stereolabのレコードが終盤にさしかかると、針がスリップした、それも当然でレコードの手入れが悪ければ針先にほこりや汚れが毛玉のようにかたまり、溝に小さな針を維持すること
が出来なくなるからだ、その昔音楽を聴くという行為は、聴く環境を整えておく事も重要だった。レコード盤は反り返るものだし、汚れれば針は滑って曲はバラバラに聴こえ、紙ジャケットは今でこそ価値のあるものだが、糊が剥がれて盤が抜けたり、破けたり、すすけたりしたものだ。レコードの内袋は見透かしたように心が乱れていれば必ずくしゃくしゃになった。何かしながら音楽をかける事を「作業用」というらしいが、20分もすれば盤をひっくり返し、また20分もすれば新しいレコードに針を落とさなければ音楽はかからない。”作業用”にレコードを聴くという事はそういうものだった。そんな”レコード鑑賞”するという言葉や、喫茶店でレコードで曲を聴かせるのを主旨とした業態は日本独自のものだそうだ。

 それは簡単に言えば、西洋では社交場の為の音楽であり、ざっくばらんに言えば「ダンス・ミュージック」だったからで、敗戦後のMP(アメリカ陸軍憲兵隊)は日本人は音楽を鑑賞するのか?と笑った。
明治維新後、政府推奨のドイツクラシック音楽の流入とともに西洋の音楽が入ってきた。それが大衆の喫茶店の形に落とし込まれたのが大正時代の浅草パウリスタでその後昭和4年、本郷前にジャズ喫茶の草分け的存在であるブラックバードが開店。これはジャズ批評Vol.12にオーナーの野口清氏による詳しい回顧録が掲載されている。その後、第一次世界大戦や東京大空襲など激動の時代に突入し、レコード文化は輸入が厳しく、憲兵による押収や敵側の楽曲の禁止などにより低迷するがそれでも大衆向けの音楽鑑賞といえば、ミルクホール、茶房、音楽鑑賞店を経てジャズ喫茶が人気だったが1928年からはダンスホールへの取締が強化。まだ蓄音機は高価でレコードを聴くというのは個人では中々難しい時代だった。

 満州事変があり、消耗品であるレコード針が入手できなくなると、竹で出来た針をレコード1枚かけるたびに針を交換した。その後国際連盟から脱退し日本でジャズやクラシックの様な輸入音楽を取り巻く状況は大変厳しい状況になる。輸入盤が3円50銭、コーヒー一杯15銭の時代だ。コーヒーの価格を決めるのも政府の「物価課」に稟議を通さねばならならず、横文字のオールディーズだとかスウィングなどの店名は紅館なんかに改名を迫られたりした。


 戦後になり、復興のなか、ブラックバードの野口氏が焼け野原となった東京新橋に新たに音楽鑑賞店を出す。MP(アメリカ陸軍憲兵)に何度か尋問に合いながらの経営だった。時代はまだ片面3分のSP盤の頃で、これを2台の電気蓄音機を用意し2台で曲が途切れないように交互に再生するのだが、この頃でも3,4枚レコードをかけたらレコード針を交換しなければならなかったのだから、手に穴があくようだったという。

ジャズ批評ボリューム12

 敗戦復興後のレコードの歴史は今に至るまでビニール盤の登場、長い再生時間のロングプレイ(LP)盤、と皆の知るところで、大まかではあるがレコード文化の創世記の一つを参考に、今の「北米で、2020年に1980年以来、CDの出荷をレコードが抜いた」こと、更に国内でも「レコードリバイバル」について是非読者の方も考えていただきたいと思う。
 国内創世記のそれはそもそも西洋音楽を聴くには手段がレコードか、ラジオかしか無かったのだから仕方がないのは理解できる、それが今の道具に比べ費用も手間も尋常ではなくかかったとしても、十分な目的だったからでありほとんどの音楽がネット経由で無料で聴ける今の時代には何故流行る必要があるのだろうか?

 大方の見解としては、日常の便利な生活を捨てキャンプに人は行くようなもので不自由と言われる工程に、道具や環境の整備に愉しみを見出しその結果を味わうという事だと想像するのだが…いちレコード愛好家の私としては信じたい、ネット上の「ハイレゾ」フォーマットでもなし得ない得難い音がそこにあるのだと。 ロボットに楽器は弾けてもジャズは出来まい。というのは老舗「DIG」の言葉だが、レコードはレコードだったのだと。
 12インチ紙ジャケットを手に取るという人間サイズに満足をあたえる大きさ。針の先の丸まった埃の塊を掃除するとき。すべてがダイナミズムなのである。つまり、Excellent in Dynamics。全ての古き文化が予め備えている最大の要素であり、変えがたき魅力である。そうチープに締めくくりながら夜明けの空気を味わいつつ、ManitobaのStart Breaking My Heartをかける。

おまけ・私のレコード環境

アンプ:McIntosh MA6200
レコードプレイヤー:ドイツDual社の日本版TEAC Dual1228 50Hz改造 アイドラードライブ
:SHURE M75-6s 丸針 や Shure V15 typeⅢ 楕円 針・・などSHUREばかり6本ほど。
スピーカー:Klipsch RF35 

再生環境
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予備のテクニクスのプレ イヤーなど
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予備のSHURE N75-T2
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参考文献のジャズ批評 Vol.12
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McIntoshのアンプと近代的な最近の「ネットワークプレイヤー
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