松田聖子さんのファンクラブ会報「PePe」(創刊号含む)を千葉県成田市のお客様よりお譲りいただきました。

先日、大変貴重な松田聖子さんの初期のファンクラブ会報「PePe」を、No.1~8までまとめてお譲りいただきました。

会報のNo.1を見てみると、松田聖子さん直筆で「デビューして3カ月で後援会ができるなんて、“ほんとッ”夢みたいです。」と書いています。

彼女のデビュー曲は1980年4月1日発売の「裸足の季節」ですから、3か月後という事は7月頃という事になります。

資料によると1980年7月6日に2枚目のシングル「青い珊瑚礁」の発表会の時にファンクラブ発表会をしているようです。

デビュー曲「裸足の季節」はオリコンチャートでは最高位12位でしたが2枚目の「青い珊瑚礁」は2位に、その後のシングルはほとんど1位をとってますので、この最初のファンクラブ会員は先見の明があったという事ですね。

このあと会報はだいたい3か月毎に発行されたようです。年代を追って会報の表紙を見てみましょう。

2号は1980年9月頃の発行でしょう。この頃はNHKの「レッツゴーヤング」、TBSの「ザ・ベストテン」などの歌謡番組がたくさんありましたし、ラジオの番組をもっていたり、グリコのCMに出てたりと大忙しでした。

1980年10月に3枚目シングルの「風は秋色」が発売されます。3号は1980年11月頃です。
年末にはこの年のレコード大賞新人賞を始め多くの賞をとっています。

4号は1981年1月の発行で振袖姿(1枚目の写真の右上)です。4枚目のシングル「チェリーブラッサム」は1月の発売です。

5号は1981年3月、6号は5月頃です。
5枚目シングルの「夏の扉」は4月に発売されています。

7号は1981年7月、8号は9月頃です。6枚目シングルの「白いパラソル」は7月の発売です。

この年の8月に初主演映画『野菊の墓』が公開されています。

この頃の彼女の髪型は「聖子ちゃんカット」といわれて流行した髪型でした。

今でもたまにテレビで1980年代の街でのインタビュー画像を見ると多くの女の子がこの髪型をしていて時代を感じますね。

今回はこの会報の他に生写真もたくさんお譲りいただいたのですが、並べてみると彼女の髪型が年代毎に違っていくのがよくわかります。

そのたびにファンの女の子は聖子ちゃんの髪型をまねしていたものです。


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