1960年代終盤のGS(グループサウンズ)シーンを熱狂的なまでに盛り上げたバンド「ザ・タイガース」。
彼らが掲載された雑誌の切り抜きコレクションをお譲りいただきました。
1970年生まれの私にはソロとなった沢田研二の活躍や『西遊記』での岸辺シロー(今回の切り抜きの時期は加入前)は知っていても、さすがにザ・タイガースの現役時代は知る年代ではありません。
それでもラジオやテレビ番組で何かのきっかけに彼らの曲がかかることはしょっちゅうでしたし、81年の再結成時は周りの大人たちが盛り上がっていたのを覚えています。
その時の『色つきの女でいてくれよ』はやはりカッコよくて、みんなが夢中になるわけだとも思いました。
以降も現在に至るまでいくつかの名曲は定期的にカバーされていますよね。
人気絶頂とはいってもよほどの大特集でも組まれない限り、一冊の雑誌の中で彼らに割かれるページは1~4ページとかそのくらいだったのではないでしょうか。
それがこの量というのは、いったい当時どれだけの雑誌に載っていたのか驚くほかありませんし、それらを網羅していたお客様の情熱に頭が下がります。
少し気になったのは、掲載誌や発行日のメモはなかったのですが文中やカレンダー写真などの年月が残るものがすべて68年でした。
撮影時にすべてチェックしたわけではないので前後の年もあるとは思いますが、ちょうど彼らの人気絶頂の頃だと思います。
スタイルや曲のカバーなどフォロワーを多く輩出しており、とにかく60年代~70年代に青春を送った世代には特別な存在なのです。
元々の活動期間も4年ほどと決して長くはありませんし、デビューから加橋かつみ脱退まではわずか2年。
加橋脱退の理由がこうしたアイドル的プロモーションへの不満といわれていますが、今回の切り抜きのボリュームや記事内容からそれが裏付けられるように思えます
例えば切り抜きのうちの1枚には「新宿区四谷にあるタイガースの合宿は、連日ファンの急襲をうけて近所から苦情が出るほど」という記述があります。
上京当初住んでいた烏山の一軒家も、ファンの来訪に悩まされていたようですね。
いわゆるアーティスト志向で世界を目指したかった加橋にとっては、アイドル路線のプロモスタイルでプライベートが浸食されることもストレスだったのかもしれません。
グラビアもあるときは山の上で、あるときは紋付袴で野点(のだて)の茶会、そして番組出演時の七変化など、各誌が工夫を凝らしたシチュエーションを考えているようです。
ただ、ジュリーに関しては後のソロ活動での先鋭的なコスチュームの萌芽を感じます。いずれにしてもこれらすべてに付き合わされるのは大変だったのではないでしょうか。
もちろんまとめて観たために「大変そう」というのは勝手な感想ですし、当時の彼らも大変なのと同じくらい楽しいこともあったとは思います。
また、やっぱりスターとしての写真の中に、それぞれ一人の若者としての素顔が垣間見える写真もあるのはいいなと思いますね。
このへんはカメラマンや記者のセンスでしょうか。背景の昭和の風景や共演者などとあわせて、自分の昭和の思い出と重ねてしまいます。
そんないろいろなことが思い起こされる切り抜き集。日付メモがなくても記事部分の内容によっては、写真集では知ることのできない記載もあったり。
タイガースファンや研究家にはもちろん、昭和という時代の資料としても重要なコレクションと言えそうです。
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