THE ALFEEの若い頃から現在まで~色あせないメンバーの魅力~

THE ALFEE
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THE ALFEEジ・アルフィーは、1973年に結成された3人組ロックバンドです。
デビュー以来歩みを止めることなく、50年以上に渡り日本のロック音楽を支える「レジェンド」として知られています。

長い歴史を持つ彼らは、「アイドルとしてデビュー」「4年間の下積み時代」など、数々の試練を乗り越えてきました。

そんなTHE ALFEEが50年に渡り、バンドを続けられたのはなぜでしょうか。

今回は日本バンド界のレジェンド・THE ALFEEが「今もなお走り続ける理由」に迫ります。

THE ALFEEの結成~ブレイクまでの軌跡

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https://natalie.mu/music/gallery/news/124612/282010

THE ALFEEジ・アルフィーは、桜井賢さくらいまさる坂崎幸之助さかざきこうのすけ高見沢俊彦たかみざわとしひこの3人組ロックバンドです。

1974年にメジャーデビューを果たし、ハードロックやポップスなど、多彩なジャンルの音楽を展開しています。

まず初めに、THE ALFEEの結成から、80年代にブレイクするまでの歴史を見ていきます。

フォークグループ『コンフィデンス』として結成

THE ALFEE 歴史

THE ALFEEの前身となったのは、1970年に結成されたフォークグループ(※)『コンフィデンス』でした。

『コンフィデンス』は、桜井賢さくらいまさるが高校の同級生である三宅康夫みやけやすお高橋志郎たかはししろうを誘って結成したグループです。

バンド名の由来は、アメリカのフォークデュオ『サイモン&ガーファンクル』の曲Bookendsブックエンド』に登場する、歌詞の一部“confidence”を取ったものでした。

1972年にはビクター音楽産業(現・ビクターエンタテインメント)主催のフォークコンテストに出場し、優勝を果たします。

この時、コンテストに1人で参加していた坂崎幸二さかざきこうじ(坂崎幸之助)と知り合いました。

※アコースティックギターの穏やかな音色が特徴の『フォークソング』を歌うグループ

坂崎氏は当時、別のバンド『へそ下3寸』で活動していましたが、大学受験に専念するためグループを脱退。

その後、別のコンテストに向けて練習をしていた『コンフィデンス』のもとを訪れ、メンバーに「明日一緒に参加するよ」と伝えます。

坂崎氏は自然な流れで『コンフィデンス』に参加し、そこから50年以上在籍することになりました。

グループ結成者の桜井氏は、坂崎氏を「(練習に参加してから)帰らずにずっといる人」と語っています。

『コンフィデンス』のメンバー変遷

1973年には、『コンフィデンス』の初期メンバーである高橋志郎が脱退。
桜井賢、坂崎幸二、三宅康夫の3人は同じ大学へ進学しました。

大学進学後、坂崎幸二は同じ学部・学科に所属していた高見沢俊彦たかみざわとしひこと出会います。

坂崎氏はフォークソング、高見沢氏はハードロックと好みは違っていましたが、話をするうちに「意外に趣味が似ている」ことに気づきました。

翌日に『コンフィデンス』のライブを控えていた坂崎氏は、高見沢氏に「ギターを手伝って欲しい」と声を掛けます。

他メンバーと初めて顔を合わせた時は「ハードロックの人間が何しに来たの?」と思われたものの、打ち解けるまでに時間はかからなかったそうです。

坂崎氏と高見沢氏はお互いにフォークとロックの魅力を語り合い、ギター演奏やレコードを持ち寄るなどして影響し合う関係になりました。

こうして、『コンフィデンス』は桜井賢、坂崎幸二、三宅康夫、高見沢俊彦の4人組となりました。

バンド名を『Alfie』に変更

『コンフィデンス』は1974年に、ビクター音楽産業からデビューが決定します。

しかし、デビュー当初は事務所が決めた方針である「フォークソングを歌うアイドル」として活動することになりました。

1974年8月25日発売のデビューシングル『夏しぐれ』では、ボーカルを桜井賢から高見沢俊彦へ変更されます。

これは、高見沢俊彦のルックスに惹かれた事務所スタッフが、「ギターを弾かなくていい」と判断したためです。

その結果、ギターを弾きたい高見沢氏がボーカル、ギター未経験の桜井氏がアコースティックギターを担当するという、ちぐはぐな体制でのデビューとなりました。

グループ名の『コンフィデンス』も音楽業界誌『オリジナル・コンフィデンス』(オリコン)と間違えるという理由で、『Alfie』に改名。

改名の理由について、高見沢俊彦は「呼びやすい・覚えやすいからじゃないか?」と語っています。

デビュー当初の『Alfie』は自分たちのやりたいことを主張せず、事務所の指示に「言われるがまま」に活動していたのです。

レコード会社との契約解除

1975年には三宅康夫が「家業を継ぐ」ためにグループを脱退しますが、桜井賢、坂崎幸二、高見沢俊彦の3人でバンドを続けていきます。

同年12月10日には、3人体制初のシングルとして府中捕物控ふちゅうとりものひかえをリリースする予定でした。

しかし、本作は『三億円事件』をパロディにした曲で、「事件を茶化している」というレコード会社の意向で、前日に発売中止が決定します。

会社側の一方的な決定に怒った3人は、当時所属していた『ビクター音楽産業』との契約を解除しました。

その後はレコード会社に所属しない「下積み時代」が続くことになります。

「下積み時代」では、事務所の先輩である『研ナオコ』『ムッシュかまやつ』のバックバンドを務めながら、ライブハウスでの活動を積み重ねていました。

ライブハウスでは「お客さんを楽しませる」ためにコントやモノマネを取り入れるなど、現在にもつながるパフォーマンスの原型を作り上げていきます。

こうした地道な努力の結果、「10人くらいしか集まらなかった」ステージも満員となり、複数のレコード会社から声が掛かるまでに成長を遂げました。

ロックバンドに方向転換

約4年間の下積みを経て、『Alfie』は再びデビューを果たします。

1979年にレコード会社を『キャニオンレコード』(現・ポニーキャニオン)へ移籍し、グループ名の綴りも『Alfee』へ改称。

同年1月21日に、再デビューシングル『ラブレター』をリリースしました。

1980年発売のアルバム『讃集詩さんじゅうし』では、プロデューサーの勧めにより、高見沢俊彦がエレキギターを弾くようになります。

1982年4月21日には、ロック音楽を取り入れたアルバム『doubt,ダウト』を発売。

この頃から坂崎氏主体のフォークグループから、高見沢氏がリーダーの「ロックバンド」へと転換していきました。

1982年11月発売のアルバム『別れの律動リズム』からは、グループのロゴを大文字の『ALFEE』に変更しています。

『メリーアン』でブレイクを果たす

1983年8月24日には、グループ初の日本武道館公演を開催。

当時はまだ「ヒット曲がない状態」でしたが、下積み時代に培った動員力でライブを成功させます。

武道館ライブの直後には、1983年6月に発売されたシングル『メリーアン』がヒット。

カップリング曲『ラジカル・ティーンエイジャー』も若者の共感を集め、グループの人気を加速していきます。

この勢いに乗り、同年12月には年末恒例の歌番組『第34回NHK紅白歌合戦』への出場が決定しました。

星空のディスタンス
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1984年からは『星空のディスタンス』『STAR SHIP-光を求めて-』など、ヒット曲を次々と発表。

『ALFEE』は約4年間の下積みを得て、ついに国民的バンドへの道へ進み始めました。

THE ALFEEメンバーの魅力~若い頃のエピソードを振り返る~

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THE ALFEEのメンバーは、桜井賢さくらいまさる坂崎幸之助さかざきこうのすけ高見沢俊彦たかみざわとしひこの3人です。

結成から51年間(2025年時点)、1度もメンバーを変えることなく活動してきました。

本記事ではデビュー当初のエピソードや、メンバー3人の魅力に触れていきます。

桜井賢(さくらい まさる)

担当:ボーカル、ベースギター
誕生日:1955年1月20日
出身地:埼玉県

桜井賢さくらいまさるは、THE ALFEEのボーカル、ベースギターを担当するメンバーです。

THE ALFEEの前身となる『コンフィデンス』を結成した、「アルフィーの創始者」として知られています。

『コンフィデンス』結成時から伸びやかな美声の持ち主で、坂崎幸之助からも「すごく良い声で、その時点でプロに誘われていたぐらい」と評価しています。

MCでの軽快なトークにも定評があり、デビュー前には当時無名だった『所ジョージ』と共に、ラジオ番組『オールナイトニッポン』を盛り上げた経験があります。

桜井賢といえば、トレードマークの「サングラス」です。
サングラスをかけ始めたのは、研ナオコのバックバンドを務めていた1976年頃と言われています。

当時「印象がなくてつまらない」と指摘され、個性を出すためにサングラスや髭を取り入れたそうです。

以来、TV番組やCDジャケットなど、THE ALFEEの仕事で表に出る時はサングラスを外していません。

桜井本人も、サングラスは「人前では外せない」「パンツを脱ぐのに等しい(恥ずかしい)」と語っています。

このスタイルが定着したことで、現在の「髭にサングラス」というキャラクターが確立されたのです。

坂崎幸之助(さかざき こうのすけ)

担当:ボーカル、アコースティックギター
誕生日:1954年4月15日
出身地:東京都

坂崎幸之助さかざきこうのすけは、THE ALFEEのボーカル、アコースティックギターを担当するメンバーです。

『コンフィデンス』加入後の1972年から1982年まで、初代リーダーを務めていました。

中学1年生からアコースティックギターを始め、以降は毎日学校にギターを持ち歩いていました。

高校生の時には「学校で禁止されていたギターを弾けるようにしたい」という理由で、フォークソングの同好会を立ち上げたという話も残っています。

中学・高校時代は勉強そっちのけで「ギターを毎日触っていた」ほどで、今でも風呂に入る時以外は常にギターを持ち歩くと言われています。

坂崎幸之助はTHE ALFEE以外にも、フォークソングを「若い世代にも広める活動」を行っています。

主な活動はフォークソングの特集番組のMCや個人イベントの開催、大学の非常勤講師などです。

2019年には4人組アイドル『ももいろクローバーZ』の玉井詩織たまいしおり『しおこうじ』を結成し、ラジオ番組を通じてフォークの魅力を伝えています。

高校時代から育んできた豊富な知識を活かし、現在も「フォークの伝道師」として意欲的に活動しています。

高見沢俊彦(たかみざわ としひこ)

担当:ボーカル、エレキギター
誕生日:1954年4月17日
出身地:埼玉県

高見沢俊彦たかみざわとしひこは、THE ALFEEのボーカル、エレキギターを担当するメンバーです。

中学時代はバスケ部に所属し、3年生の時にはキャプテン(主将)を務めた経験があります。

高校では「最後の試合で負けた」ことでバスケを辞め、ハードロックバンド『ツェッペリン・ジュニア・スペシャル』を結成。

学生時代から「美少年」として知られており、高校の同級生である桜井賢は「ハードロックをやっている、けっこう派手なヤツ」という印象を持っていたそうです。

『コンフィデンス』加入前はフォークソングの経験がなかったものの、ギターを弾いてコーラスをすることに「高校のロックバンドでは感じたことのない楽しさがあった」と語っています。

高見沢俊彦はフォークソングからロックへ転向後の1982年から、THE ALFEEの2代目リーダーを務めています。

リーダー就任後は、THE ALFEEの全楽曲の作詞・作曲を担当。
『メリーアン』『星空のディスタンス』など、グループの代表曲を数多く制作しました。

1991年にはソロデビューを果たし、現在も『Takamiyたかみー』名義でCDのリリースやソロライブを展開しています。

デビューから50年以上経った今でも、「バンド界のレジェンド」として第一線で活躍するギタリストです。

THE ALFEEが50年続く理由とは?

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THE ALFEEは2024年に、デビュー50周年を迎えました。
結成時から1度も活動を休止せず、現役のバンドマンとして走り続けています。

2025年8月にはシングル74枚、コンサートの開催は2972回を達成しました。

ここでは、THE ALFEEが半世紀にわたり演奏を続ける理由に迫っていきます。

メンバー3人の強みを活かす

THE ALFEEが50年続いた最大の理由は、メンバー3人の仲が良く、お互いを尊重し合ってきたからです。

桜井賢と坂崎幸之助はフォークソング、高見沢俊彦はハードロックと、それぞれ得意とする音楽ジャンルは異なります。

3人それぞれにミュージシャンとしての個性があるため、その強みを「最大限に活かす」ことで音楽を築いてきました。

楽曲制作を担当する高見沢俊彦も、「誰か1人が突出していたらダメだったはず」と語っています。

お互いの良さを尊重していたことが、THE ALFEEの音楽を支えてきたのです。

バンドは長く続けることが大事

THE ALFEEはデビュー以来、「とにかく新曲を出してライブをやる」ことを決めていました。

50年以上新曲を出しているバンドは、世界でもほとんど例がないそうです。

長く続けているとメディアにも取り上げられ、1度離れたファンが「ALFEEまだやってたんだ」と戻ってくることもあるそうです。

「人前でライブをやり続ける」ことが、THE ALFEEのパフォーマンスを進化させる原動力となっています。

世代を超えてファンが増える理由

THE ALFEEは現在、10代~20代の若者を中心にファンを獲得しています。

デビュー50周年を機にメディア露出が増え、XやYouTubeなどの「SNSを通して知った」という方が多いです。

その中でも有名なコンテンツが、DVDの特典映像として収録された料理番組『アルフィーキッチン』です。

番組のカツ丼を作る回では、高見沢俊彦が玉ねぎを切らず、そのまま鍋へ入れようとする姿が注目を集めました。

メンバー3人の仲睦まじい様子に、SNSでは「微笑ましすぎる」「ご飯作ってるだけで面白い」といったコメントが寄せられています。

SNSを機にTHE ALFEEを知り、「音楽やっている人なんだ」と曲を聴く若者が増えています。

まだまだ現役で活動!THE ALFEEの最新情報

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THE ALFEEは結成51年目、メンバー全員が70歳を迎えた今でも活動を展開中です。

毎年欠かさずライブツアーを開催し、「70歳とは思えない」力強い歌声と演奏で新たなファンを獲得しています。

まだまだ現役で活躍する、THE ALFEEの最近の音楽活動を3つ紹介します。

デビュー50周年記念アルバム『五十年祭』をリリース

五十年祭
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THE ALFEEは2024年8月14日に、デビュー50周年記念アルバム五十年祭ごじゅうねんまつりを発売しました。

本作は11組のアーティストがTHE ALFEEの曲をカバーした、グループ初の「トリビュート・アルバム」として制作されました。

参加アーティストは宮野真守みやのまもる』『西川貴教にしかわたかのり』『氣志團きしだんなど、豪華メンバーが集結。

オリジナル曲とはひと味違う、多彩なアレンジで表現されたTHE ALFEEの楽曲を楽しめる作品です。

41年ぶりに『NHK紅白歌合戦』へ出場

THE ALFEEは2024年12月、年末恒例の歌番組『NHK紅白歌合戦』へ2回目の出場を果たしました。
紅白に出場したのは、1983年以来41年ぶりとなります。

番組ではグループの代表曲『星空のディスタンス』を歌い、Xのトレンド1位を獲得。

初めてTHE ALFEEを見た視聴者からは、左端に立つ桜井賢から歌い始めたことに「桜井、お前が歌うんかい!」とツッコミを入れる投稿も話題となりました。

放送終了後は「紅白見てハマった」という声が続出し、知名度を上げるきっかけにもなりました。

74枚目シングル『HEART OF RAINBOW』を発表

HEART OF RAINBOW
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THE ALFEEは2025年7月30日に、デビュー51周年記念シングルHEART OF RAINBOWハートオブレインボーをリリース。

前作『KO.DA.MA./ロマンスが舞い降りて来た夜』から約1年ぶり、74枚目のシングルとして発売されました。

歌詞には「幸せのカタチも限りなくあるはずさ」「今を頑張れば希望が近づく」など、前向きなメッセージが綴られています。

高見沢俊彦は「人生つらいけど、それほど捨てたもんじゃないよ」と、聴いた人が少しでも楽になって欲しいという思いで制作したそうです。

THE ALFEEの「今でも走り続ける」という、強い意志が込められたロックナンバーです。

まとめ

今回はTHE ALFEEの結成から、約50年に渡る歩みを振り返りました。

THE ALFEEは高校時代の結成以来、音楽や楽器への情熱を絶やすことなく活動を続けてきました。

結成時から「お互いを認め合う」ことを心掛け、それぞれ違う個性が合わさることで「ALFEEの音楽」が生まれています。

メンバー3人は「まだまだ元気なので、これからももっとライブを続けます」と意気込みを述べています。

これからも進化し続ける、THE ALFEEの活躍が楽しみですね!


最後までご覧いただきありがとうございました。

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