『Seiko Jazz2』がアメリカのジャズ名門レーベル「ヴァーブ」から発売されるにあたり、アメリカのジャズ・ポップス界の超大御所クインシー・ジョーンズから祝福のツイートが出たことが話題になっている。このツイートで、クインシーはSeiko Jazzの制作過程で、聖子から相談を受けたこと、プロデューサーとしてマーヴィン・ウォーレンを紹介し、薦めたのがクインシー自身だったことを明かしたが、これは意外でも何でもないことだ。多くの聖子ファンは今回のアルバムの背後にクインシーの影を見ていたはずで、実際、ここ10年ほど、聖子が彼に音楽的なバックアップを求めてきたことはファンには周知な事実だったからだ。
そして、また、2010年-2011年頃には聖子がクインシーのプロデュースで“One of these days”という曲を歌い、かなり凝ったプロモーションビデオ(PV)まで作りながら、結局はお蔵入り、今に至るまで未発表になっていることもご存じだろう。
幸いなことに(と言ってよいのだろうか?)、この時のPVは2014年に製作者が一時的にYou Tubeにアップロードし、この動画自体は消えてしまったものの、これをダウンロード保存したファンによる再アップのおかげで、現在でも閲覧は可能だ。→残念ながら直接リンクがNGの為、Youtubeで<One Of These Days seiko>で検索して下さい。
だがこの”One of these days”、公式には今に至るまで何らまともな情報もなく、そのため、この曲自体も音楽ジャーナリズムがきちんと取り上げ論評されたことないし、そのあまりにもミステリアスな経緯と音楽の内容のゆえに聖子ファンの間でも、どう取り扱ってよいかわからない“戸惑いのヴェールの向こう”に置かれてしまっている。
しかし、近年の聖子のポップ・歌謡曲路線とは別のもう一つのプロジェクト、“Seiko Jazz”が実はこの曲から始まったことは、このPV制作時に同時に撮影されたと思われる聖子のポートレート(着ているドレスが同じ!)がそのまま『Seiko Jazz 1』のアルバムに使い回しされていることでも明らか。今回は、この語られない事実上の”Seiko Jazz 0(ゼロ)“といっていいこの重要曲を取り上げたい。
このPVを見て、曲を聴いたとき、僕を含めたほとんどの聖子ファンはアッと驚いたと思う。なぜなら、画面に出てくるのが、それまでのアメリカ向けのPVでの、はっきり言ってしまえば、聖子には全く似合っていると思えない”無理やり肉食セクシー系“日本の”亜流マドンナ路線”とは全く別物の、しっとりした大人の色気を滴らせながら、シックなドレスの裾を引き摺り歩く優雅な立ち姿の聖子だからだ。
メロディーも歌声も、そんな”エレガント“大人聖子に相応しい、それ以前の聖子の音楽自体には見られなかったムーディでジャージーものだ。そして聖子をどことも知れぬ真夜中の高級バーで出迎えるのはなんとバーテンダーに扮したクインシー御大である。
やがてこの真夜中の白日夢のような舞台に、ジャズはおろか20世紀最大の音楽的才能の一人と言われるデューク・エリントンが現れ、聖子にピアノで伴奏をつけてゆく。良く見ればPVの最初にはSeiko Matsuda、Quincy JonesとともにデガデカとDuke Ellingtonの名前まで掲げられているではないか。
エドワード・ケネディ・“デューク”・エリントンはジャズファンなら誰もが知るジャズ・ジャイアントのひとりだが、日本では何故かマイルスやビル・エヴァンスらに比べれば人気が薄く、同じビッグバンドジャズのリーダーということでもカウント・ベイシーにも及ばない。
亡くなったのが1974年とかなり経ってしまったこともあり、私のようなオヤジ(いや既に初老だ!)ジャズファンにさえ、その評判のわりにどれだけ聴かれているのか疑問な存在、まして通常の聖子ファンには名前だって知らないという方も数多いことだろう。
しかし、1920年代のキャリア初期から亡くなるまで1000曲以上を作り、演奏し、その中には“ソフィスケイテッド・レイディ”“A列車で行こう”といったジャズスタンダードも数多く含まれ、発表したアルバムもこれまた1,000枚を超えるだろうというとんでもないジャズメンで、その作品は日本の武満徹のようなジャズ以外のクラッシック、現代音楽を含めた世界中の音楽家たちにも広く影響を与え、崇拝されるという大変な音楽家なのである。
そんな20世紀ポピュラー音楽の伝説的大巨人の曲を、一般的には全くの畑違いと思われていた聖子に与え、曲自体も全く新たなものに生まれかわらせる、そんなことはクインシー以外の誰が考えるだろうか?100万ドル賭けてもいい~♪、日本の音楽業界にそんなこと考えつくプロデューサーは絶対いないし、アメリカでもそれを実行させてしまえるのはクインシーだけだ。
この聖子の歌う曲、2014年の動画流出時から当然、デュークの曲であるはずと思ったものの、ジャズ歌手によくカバーされるエリントン・スタンダードではなく、“私はエリントンだってちゃんと聴いているぞ!”と自称するボッサクバーナにも聞き覚えがない。デュークには海外の熱烈ファンが作った彼の全曲を検索できる便利なサイトもあるのだが、その中にも”One of these days”という題名を持つ曲はなかった。
ただ、デュークの曲は発表時にはインストである場合はほとんど、その後に歌詞がついた際に別題名が付くというケースも多く、おそらくはそうした曲のひとつであろう、という想像はついたのだが、あまりに膨大な数のアルバムを発表したデュークである、この曲の正体を探し出すのは困難を極めた。これは他の聖子ファンも同様だったに違いない。
この疑問が解決したのは2016年年末の事だ。聖子ファンサイトで、この曲が話題となり、ある方より「メロディーの動きがとても面白い、まるでラベルやドビュッシーといったフランス印象派のものを思い出させる」という感想が出たのである。
実はデュークはフランス印象派の音楽が大好きで、しばしば彼らの影響をモロに受けた作品を発表するのだが、その時、私には一つのアルバムが雷に打たれたようにはっと思いあったのである。彼が1950年代初頭に録音した『Piano Refrections』というアルバム。普段はビッグバンドを率いるデュークがピアニストとしてトリオを組み、多くの曲ではほぼソロで自作曲を演奏しているもので、その為、彼のアルバムの中では異色作で決してよく聞かれるものではない。私も何年も昔にCDを中古屋で見つけて買い込んだものの、ほとんど聞かずにCD棚に眠らせていたものだ。
1000枚近くはあろうと思われるCDの中からやっと探し出し、その中から見つけたのがこの曲、”Refrections in D” (”Dの回想”あるいは”Dの反響”)という題名のこの曲。間違いなく聖子の“One of these days”そのものである。
今やアメリカのポピュラー音楽史上最大の伝説的プロデューサーとして知られるクインシー(Mr.Q)だが、彼の音楽家としての出発点はジャズの編曲家、ビッグバンドのリーダーだった、ということは、彼に興味を持った方には良く知られたことだろう。つまりデュークはクインシーにとって同業の大先輩なのだ。
最初はジャズ・トランぺッターを目指していたMr.Qが、さっさとプレイヤーとしての自身の才能に見切りをつけ、プロデューサー感覚を持った新しいタイプのジャズ編曲家としてメキメキと売り出し始めたのが、エリントンが”Reflections in D”を録音した1953‐1954年にかけてだ。
若きMr.Qがエリントンの発表する音楽を食い入るように聞いていたという話は、彼自身があちこちのインタビューで語っている。エリントンの曲としては決して有名とはいえない”Reflections in D”もMr.Qにとっては-ちょうど僕らにとっての”一千一秒物語”や”ひまわりの丘”がそうであるように-青春の忘れがたい一曲だったのかもしれない。
(中編に続く)
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